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博多山笠始まりましたNo.3

きまぐれおじさん

きまぐれおじさん

先日から九州は大雨。
九州、中国、四国、東海地方では甚大な被害が報告されていました。
被災された方にはお見舞い申し上げます。
私も金曜日出かけており帰りの電車が運行見合わせになり6km手前の駅で4時間缶詰状態になりました。
今日になり、雨も上がり再度飾り山を見に行ってきました。
国内のみならず外国人の方々もたくさん来られていました。

本日で飾り山すべてを廻り制覇しました。
廻った山笠をネット記事を添付してご紹介いたします。
四番山笠土井流(舁き山です)
土居流れ
歌舞伎十八番 暫
(かぶきじゅうはちばん しばらく)
時代物。歌舞伎十八番のひとつ。初代市川團十郎が元禄10年(1697)正月江戸中村座で演じたのが初演といわれる。江戸中期から幕末までの一世紀あまり「暫」は顔見世狂言の序幕の中で年々趣向を変えて上演された。 ウケと呼ばれる悪公卿に命じられ腹を出した赤っ面の家来たちが善人方の男女を斬ろうとするところへ「しばらく」と声をかけて主人公鎌倉権五郎景政が登場。権五郎は弁舌と武勇をもって悪人を懲らしめ善人方を救う。
[人形師:田中勇]

七番山笠 中洲流
中洲流れ
長政関ヶ原武勲
(ながまさせきがはらのぶくん)
慶長5年(1600年)9月15日、美濃国関ヶ原で徳川家康方の東軍と石田三成方の西軍が激突。世に言う「関ヶ原合戦」である。この戦いで東軍に加わった黒田長政は合戦の先陣を務めて大いに武功を表した。戦いは一進一退の攻防を繰り返したが、午後に至り小平川秀秋の裏切りによって西軍は総崩れとなり、東軍の勝利で幕を閉じた。 この時小平川秀秋に裏切りを勧めたのが黒田長政で、戦いの後徳川家康が長政の手を取り感謝したと言われている。この関ヶ原の武勲によって黒田長政は筑前国52万石を賜り、同年12月、豊前国中津城より小早川秀秋の居城であった名島城に移った。しかしこの城が52万石にはふさわしくなく、翌年から7年をかけて那珂郡警固村の福崎に新しく城を築き、城下町と出身地にちなんで福岡と名付け、ここに黒田藩の基礎が確立された。
[人形師:三宅隆]

八番山笠 上川端通り
上川端通り
義経八艘飛
(よしつねはっそうとび)
「義経八艘飛」とは、壇の浦の合戦で、平氏の勇将は平教経は長刀をもって源氏勢に斬り込み、義経を発見し挑みます。教経に追いつめられた義経は、ニ丈離れた味方の船に次々と飛び移り追跡をかわしたとされます。人間離れした技は、少年期を過ごした鞍馬山の天狗に学んだに違いない、という義経伝説が伝えられています。
[人形師:田中勇]

九番山笠 川端中央街
川端中央街
先陣 宇治川
(せんじんうじがわ)
平家物語にある「宇治川の先陣」を題材にしており、梶原元太景季と佐々木四郎高綱の先陣争いの名勝負である。 源義経を対象とする頼朝軍が宇治川に差しかかったものの川は増水しており、対岸では義経軍が待ちかまえているため渡河を躊躇していたところ、景季と高綱が馬を走らせて現れる。義仲軍からの矢が降り注ぐ中、磨墨(スルスミ)に高綱は生唼(イケズキ)に跨り先陣を争ったが、高綱が勝り先陣の名乗りを上げる。頼朝軍は一気に宇治川を突破。京に突入し激戦となるが、義仲軍を打ち破る。
[人形師:中野親一]

十二番山笠 博多リバレイン
リバレイン山笠
蒙古襲来博多湾
(もうこしゅうらいはかたわん)
蒙古襲来(元寇)とは、鎌倉時代に元軍によって2度にわたり行われた対日本侵攻。 1度目(1274年)を文永の役、2度目(1281年)を弘安の役という。 博多湾沿岸一帯には襲来に備えて防塁が築かれ、弘安の役の際には元軍は一切博多に上陸することが出来なかった。この防塁によって博多は守られ、現在の博多が存在する。防塁は昭和6年に国の史跡に指定された。
[人形師:生野四郎]

十七番山笠 キャナッルシティ博多
キャナルシティ
激闘三太刀
(げきとうみたち)
上杉謙信と武田信玄との川中島での戦い。信玄の本陣に謙信が斬り込みをかけた。 謙信は、床几に座る信玄に三太刀にわたり斬りつけ、信玄は軍配をでこれを受けた。 頼山陽はこの場面を「流星光底長蛇を逃す」と詠じている。
[人形師:置鮎琢磨]

番外 櫛田神社
櫛田神社
日本武尊征熊襲
(やまとたけるのみことくまそをうつ)
景行天皇の皇子である小碓尊(おうすのみこと)は、父の命を受けて朝廷に従わない西方の豪族である熊襲(くまそ)(現熊本県人吉市周辺から現鹿児島県霧島市周辺)の魁輸(ひとこのかみ)(首長の意)・川上梟師(かわかみのたける)の征討に向かいました。 その時、小碓尊は「わたしは弓を射るのが上手い人を得て、一緒に行きたいと思っている。どこかに弓を射るのが上手い人はいないものか。」と言いました。するとある人が、「美濃国(現岐阜県南部)に弓を射るのが上手い人がいます。その人の名を弟彦公(おとひこのきみ)と言います。」と答えました。小碓尊に呼び寄せられた弟彦公は小碓尊に従い、共に熊襲に向かいました。 小碓尊は叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)から借りた衣装で女装し、川上梟師の屋敷へ潜入しました。屋敷で行われる宴の席で、女装した小碓尊を気に入った川上梟師は、小碓尊を傍らに呼び、酒の相手をさせました。川上梟師の酔いがまわったところで小碓尊は懐から剣を取り出し、川上梟師の胸を突き刺しました。しかし川上梟師は息絶えることなく、どうか話を聞いてほしいと懇願しました。 川上梟師は「わたしはこの国で一番強かったので川上梟師(タケルは勇猛な者の意)と呼ばれたが、あなたほど強い人は初めてです。どうかこれからは日本武尊(やまとたけるのみこと)と御名乗り下さい。」と言いました。 これを承知した小碓尊は川上梟師を討ち取り、熊襲征討を終えました。 この飾り山笠は日本武尊の名前の由来となる熊襲征討の一場面です。
[人形師:川﨑修一]

今年は飾り山全部廻るぞと思いスタートしました。
3回に分けて全部廻りました。
飾り山を廻りましたが舁き山も見てみたいと思うようになりました。
7月13日に集団山見せがありますのでそこでは舁き山が一度だけ博多から福岡に入ります。
そこを見に行こうかとも思っています。
最終更新日2018-07-08
Posted byきまぐれおじさん

Comments 4

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うさ  

こんばんは♪
福岡にお邪魔したときに櫛田神社にて展示されている山笠を拝見したことはあります。
お祭りの本番は今時期なのですね。
美しいですね^^

梅雨もあけ九州は夏本番ですね。
どうか暑さに負けずにお過ごしくださいませ。

2018/07/10 (Tue) 23:35 | EDIT | REPLY |   
rika3377  

こんにちは。
そちらは被害の方は大丈夫でしたか。
電車に長時間缶詰、大変でしたね。
こちらでも毎日報道されています。
被害が甚大で心が痛みます・・・

2018/07/11 (Wed) 17:01 | EDIT | REPLY |   
きまぐれおじさん  
うささんへ

九州は先日の大雨の日の次の日に梅雨明け宣言をして暑く暑くなりました。
15日朝4:59が山笠の追い山です。
私は用事があり行けませんが行ってみたいです。(来年こそは)
櫛田神社の山をご覧になったということで圧巻ですよね。
今年の夏も暑いです。暑さに負けず夏を送りたいと思います。

2018/07/12 (Thu) 06:31 | EDIT | REPLY |   
きまぐれおじさん  
rika3377 さんへ

今回の大雨災害は日本だけの問題ではなかったんですね。
数十年に一度の大災害ということですから。
私も真っ只中で当初はJRで一本で帰れるところをJRと地下鉄、西鉄電車を乗り継いで帰ったところ缶詰にあってしまいました。
初めての経験でした。
被害に会われた地域の方々にはお見舞い申し上げます。

2018/07/12 (Thu) 06:37 | EDIT | REPLY |   

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